どんな企業を「スタートアップ」と定義するか
今回の講義テーマはスタートアップの顧客価値です。スタートアップという言葉はよく耳にするものの、実は明確な定義がありません。そこで、INITIALというスタートアップデータベースでの定義を参考に、この講義では以下の4つの要素を持つ企業をスタートアップと定義して話を進めます。
① 国内の未公開企業であること
② 独自のテクノロジーや製品・サービス、ビジネスモデルを持っていること
③ 事業成長のために投資を行っていること
④ 事業の成長拡大に取り組んでいる企業であること
「独自のものを持っていること、拡大志向を持ちベンチャーキャピタル(VC)などから資金調達をして事業拡大に取り組んでいることが、いわゆる中小企業とは異なるスタートアップの特徴です」
スタートアップの成長過程は、一般的にシードステージ、アーリーステージ、ミドルステージ、レイターステージの4つに分類されます。
日本国内のスタートアップなら、ミドルステージからレイターステージにかけて数億円から数十億円の資金調達を行うパターンが多く、そこで適切な準備を行って上場していきます。海外では上場前のレイターステージで数百億から数千億円という超大型の調達をするケースもありますが、日本では大きくても100~200億円程度なのが現状です。その代わり、事業規模がまだ小さい段階でも東証グロース市場などに上場できるので、まずは上場して、上場市場で追加の資金調達をするというケースも多いです。
このような現状を踏まえ、「日本はスタートアップへの投資が海外と比較して圧倒的に少なく、資金調達が大変」という論調の報道が散見されます。しかし、日本国内の資金調達環境は、本当に米国などと比較して大きく劣っているのでしょうか? また「起業で失敗した場合のリスクは?」「スタートアップへの転職はリスクが大きいのか?」ということもよく話題になります。青木は、この3つの疑問に答える形で講義を展開しました。
日本のスタートアップをめぐる環境を3つの疑問から探る
日本はスタートアップの資金調達環境が海外と比較して大きく劣っているのか?
日本では、スタートアップに流れる資金はこの10年間でおよそ10倍に拡大してきています。投資資金の総額で比較すると、確かに米国は日本の数十倍と圧倒的な差があります。しかしそのうち2/3は50M米ドル超の大型調達案件に振り向けられており、50M米ドル以下の中小型案件だけで日米比較すると、実は起業家当たりの投資資金は日米でほとんど遜色がありません。青木は「確かに数百億円超の大規模な調達が難しいことは日本の課題です。ですが、その代わり日本では米国よりも早い段階で上場できる株式市場があります。加えて小・中規模の資金調達においては、日本にも米国と遜色ない水準の投資資金が流れ込んでいます」と言います。
「これだけ資金調達環境が良くなっている状況なので、むしろ、起業家の数を増やしてくことが、もう一つの大きな課題です」
起業で失敗した場合のリスクは?
これまで日本では、VCが中心となってスタートアップを支えてきました。しかし近年は投資家の顔ぶれに変化が起きています。以前は数えるほどだったエンジェル投資家が増えるとともにCVCやグロースキャピタルなど多様な投資家が現れ、資金調達のチャンスが拡大しています。
スタートアップへの融資についても、「失敗=経営者個人の自己破産」という構図を改善するため、無担保・無保証での大型融資や経営者による個人保証をなくすなど制度・環境が整いつつあります。
まずはVCなど、返済義務のない方法で資金調達を目指す。VCからの資金だけで不足した場合はスタートアップでも安心して融資を受けられる制度やベンチャーデットなどを利用する。状況や目的に応じた資金調達手段を活用することで「失敗するリスク」と「失敗した時のリスク」の両方を低減することが可能になりつつあります。
「いまだに『VCから資金調達したら会社を乗っ取られるのでは?』と心配する声を時折聞きますが、名前の知れたしっかりしたVCから調達する限りにおいては、そのようなことはありません。基本的にVCは起業家を応援するスタンスなので、経営に口を出すことは多いかもしれませんが、あくまで企業価値を高めるための助言であり、まっとうな投資家であれば、会社を乗っ取るようなことはしません」
スタートアップへの転職はリスクが大きいのか?
以前はスタートアップへの転職で給料が大幅に下がるのをストックオプションで補うなど、何らかの形でカバーするのが一般的でした。しかし近年、転職相場の上昇とスタートアップの資金調達額の拡大を背景に、高い報酬で優秀な人材を確保する動きが顕著になっています。
「スタートアップの平均給与が上場企業を超えた」というメディアや調査機関の発表にあるように、以前とは比較にならないほどスタートアップの給与水準は上昇。「中には、大企業やコンサル企業、投資銀行などからの転職者が、前職と同等かそれ以上の給与を得ているケースもある」と青木は言います。
「大企業に比べリスクがあるという意見がある一方で、大手企業に居続けるリスクからスタートアップに転職する人もいます。『40代、50代になっても会社は業績を維持し続けることができるのか? 自分の居場所があるのか?』という不安から、将来の成長を期待できるスタートアップへの転職を決断するわけです」
また、スタートアップは、成長している間は常に人材不足で優秀な人材を求めている状況が続きます。つまり、業界全体の人材流動性は非常に高いと言えます。
「優秀な人材はスタートアップ業界内で転職を重ねていけるので、リスクは低いという考え方もできます。また、スタートアップ業界に特化した人材紹介会社では、リーマンショックやコロナ禍の影響が軽微だったと言います。リーマンショックの後、大企業は軒並み業績を落として優秀な人材を手放しましたが、その人材をどんどん採用したのが成長中のスタートアップでした。スタートアップへの転職はリスクばかりではありません」
受講者からの「新卒でのスタートアップへの就職はどうか?」という問いに対し、青木は「スタートアップでは、早い段階でさまざまな経験を積むことができ、チャンスがあれば若くして取締役に就任することも可能。将来、起業することを考えている人にとっては、スタートアップで経験を積むことが近道になる場合もあります」と答えた上で、「一方、大企業において経験を積んだり専門分野を深めたりしてから転職や起業をするという方法もあり、どちらが良いかは人によって異なります」と付け加えました。
ケーススタディ:
「顧客価値」は事業の根源的な問いへの答え
今回のテーマは、語学学習のオンラインサービスを展開するスタートアップにおける「顧客価値」を考えるというもの。このスタートアップは実在する企業で、かつて青木が社外取締役を務めていました。
提示されたのは、「世界中の人々が、それぞれの能力を発揮し、活躍できる世の中の実現」というパーパスと、業界内最安値かつ高品質な講師陣でオンライン英会話サービスを提供するという事業内容。これらの情報をもとに、「ユーザーに最も刺さった訴求ポイント、重要な訴求ポイントは何か?」「実際のサービスにおける顧客価値とは何か?」、さらに「それらをベースにどのようなアクションでお客さまを集客するか?」について検討しました。
受講者の検討を踏まえ、青木は「顧客価値とは、顧客のどのような問題を解決するかという根源的な価値を問うこと」と伝えました。競合との差別化は必要ですが、根源的な価値に向き合い発想していくことが何より重要です。加えて、新しいサービスであるが故、起業家が発想した価値が、本当に顧客のニーズに合致しているのか、しっかりとした検証作業を行っていかないと、継続して利用してもらうことはできません。また、当時はオンラインで英会話を教わるということが一般的ではなかったため、そのようなサービスが存在することを知ってもらう必要があるだけでなく、そのようなサービスが既存の英会話学校とは異なる価値を提供できることを理解してもらう必要もありました。スタートアップで資金・人材などのリソースも限られてくる中で、いかに効果的にそのような啓発活動を行っていくかも重要となります。
また、顧客価値が定まれば、そこを起点にパーパスやミッション・ビジョンも定まってきます。そこからさらに、戦略、リソース配置や組織、業務プロセスなども具体化していけます。
「顧客価値は企業規模の大小によらず重要です。とりわけ限られたリソースでスピード感を持って事業化にまい進するスタートアップにとって、顧客価値を中心に据えることで市場やステークホルダーの理解醸成に向けた継続的な取り組みにつながっていきます。そして、それはさらなる価値創出や投資にもつながっていくでしょう」
サマリー
多くのスタートアップは、世の中に存在しない新しい製品・サービスを開発し、新しい市場を切り拓くことにチャレンジしています。「その商品は、顧客のどんな課題を解決しているのか?」という問いに対する答えを明確にしていくことで、自分たちが提供できる顧客価値がクリアに定義され、会社として取るべき戦略や打ち手も決まってきます。