化学産業のKAM強制適用初年度における事例分析
情報センサー2021年10月号 業種別シリーズ
EY新日本有限責任監査法人 化学セクター 公認会計士 吉井桂一
2007年、当法人に入所。主に大手化学メーカー、プラントエンジアリング業などの会計監査に従事するほか、IFRS導入業務にも従事。当法人の化学セクターナレッジメンバーとして各種ワーキングループの活動を行っている。
Ⅰ はじめに
2021年3月期から監査報告書において監査上の主要な検討事項(KAM:Key Audit Matters)の記載が強制適用され、職業的専門家として特に重要であると判断した事項を監査上の主要な検討事項として記載することとなりました。本稿では、化学産業に属する東証一部上場企業のうち、3月決算企業に関する記載を分析し、強制適用初年度における特徴を紹介します。なお、文中の意見にわたる部分は筆者の私見であることをお断りします。
Ⅱ 化学産業におけるKAMの特徴、傾向
1. 化学産業の特徴
化学産業は素材産業の代表的な業種であり、他社に材料を供給するような事業から、一般に最終製品と呼ばれるものを製造する事業まで多様な事業があります。多くの場合には設備を使用して製品を製造し、大規模なプラントを保有する会社も多く、新規プラントの建設には多額の投資が必要となるという特徴があります。
2. 化学産業において選定されたKAM
(1)事例分析
KAMは関連する財務諸表における注記事項がある場合は当該注記事項への参照が記載され、KAMの内容、KAMに選定した理由およびKAMに対する監査上の対応が記載されます。化学産業におけるKAMの集計は<表1>のとおりです。一つのKAM見出しの中に複数の内容のKAMが記載されている事例は、内容単位で集計しています。また、個別財務諸表に対する監査報告書においてKAMがないとした会社は4社ありますが、いずれも持株会社でした。なお、個別財務諸表のKAMのない会社は<表1>の会社数には含めていません。
(2)選定理由
「『監査上の主要な検討事項』の早期適用事例分析レポートの分析結果」※と同じく、化学産業においても会計上の見積りに関する記載が多く見られ、その中でものれんや固定資産、関係会社株式に関する記載が多く見られました。
多くの会社でのれんや固定資産をKAMに選定していますが、選定理由として、評価手法が複雑であること、また、会計処理の基礎となる仮定には不確実性があり、経営者の判断が伴っていることが主な理由として挙げられています。その中でも将来キャッシュ・フローの見積りのために利用される将来事業計画に経営者による判断が多く含まれることが挙げられています。
企業買収等で取得したのれんは多額となる場合があり、また、化学製品の製造には設備を使用することが多く、のれんや固定資産は金額的な重要性が高い傾向があります。固定資産は長期にわたって使用することから、その評価に当たっては将来にわたる収益性の見積りが重要になりますが、見積り方法が複雑で、また、経営者の重要な判断が含まれるため、多くの会社でKAMに選定されていることがうかがえます。
会計上の見積り以外の領域では収益認識に関する記載が一定程度の会社で見られ、期間帰属をKAMとして選定している事例が一定程度見られました。
(3)KAMに対する監査上の対応
KAMは関連する財務諸表における注記事項がある場合には当該注記事項の参照が記載されますが、21年3月期から「会計上の見積りの開示に関する会計基準」が導入されたことを受け、KAMにおいても「重要な会計上の見積り」の注記事項を参照している事例が多く見られました。また、固定資産の減損をKAMに選定している事例には、減損損失を計上している事例、減損損失を計上していない事例ともに一定数が見られました。KAMに選定した固定資産に減損の兆候が生じているか否か、また、減損の兆候がある場合に減損の兆候が生じた要因を記載している事例も見られました。
のれんや固定資産の評価に対する監査上の対応としては、経営者の判断が含まれる領域への対応として、経営者との協議のほか、のれんや固定資産の評価の基礎となる事業計画に対する手続きが多く記載されています。代表的な手続きとして、事業計画と中期計画や取締役会等で承認された予算との整合性の検証、事業計画と過去の実績との比較、事業計画の主要な仮定と外部機関の市場予測等のデータとの比較等が記載されています。収益性の評価に当たり、多角的な観点から経営者の判断を検討していることがうかがえます。
評価方法の複雑性に対しては、評価の専門家を利用して検証した点を記載している事例が見られ、固定資産の減損評価モデルの検討のほか、割引率、成長率等の重要な基礎率に関して専門家を利用している事例が一定程度の会社で見られました。
3. その他の特徴
個別財務諸表のKAMは、連結財務諸表のKAMに選定された論点との共通性が見られました。連結財務諸表ではのれんや関係会社の固定資産の評価をKAMに選定している事例が多く見られますが、個別財務諸表では当該のれんや固定資産を有する関係会社株式等の評価をKAMに選定している事例も多く見られました。
関係会社株式等に対応する監査上の対応については、「金融商品に関する会計基準」に基づいて、実質価額の低下に対する検討を行っていることが見られますが、実質価額に重要な影響を与えるとして、連結財務諸表におけるのれんや関係会社の固定資産の評価に関する対応を参照している事例も見られました。
化学産業においても、国際財務報告基準(IFRS)適用会社が増加しており、本件調査においても10社がIFRSに基づいています。IFRS適用会社も会計上の見積りを選定している会社が大半で、主にのれんや固定資産の評価を選定している傾向は同一でしたが、10社中7社がのれんまたは耐用年数を確定できない無形資産の評価を選定していた点に特徴が見られます。IFRSでは、のれんまたは耐用年数を確定できない無形資産は減価償却を行わない一方で、減損の兆候が存在する場合に加えて、毎期減損テストを行うことが必要であり、会計基準の相違も要因となっていると思われます。
21年3月期は新型コロナウイルス感染症の影響を受けた環境下にあり、企業は過去と異なる環境において事業活動を行うことを余儀なくされました。化学産業においても、調査範囲105社のうち、19社が新型コロナウイルス感染症の影響を記載しており、将来の不確実性の要因として考慮している点が見られました。
Ⅲ おわりに
KAMは個々の企業に対して選定されるものですが、比較分析することで業種の特徴や傾向を把握することができる有用な情報と考えられます。
20年3月期にKAMを早期適用した会社の21年3月期のKAMにおいては、「会計上の見積りの開示に関する会計基準」を受けて注記事項の参照が新たに記載され、KAMの記載が拡充した事例も見られました。22年3月期は「収益認識に関する会計基準」の原則適用があり、会計処理の変更、開示の拡充が見込まれます。収益認識に関するKAMへの影響も想定される中、22年3月期のKAMの記載の変化が注目されます。
※ 監査基準委員会研究資料第1号「『監査上の主要な検討事項』の早期適用事例分析レポート」
jicpa.or.jp/specialized_field/20201012fba.html