英国における長文監査報告書-導入の背景と影響についての考察-
情報センサー2018年新年号 JBS
ロンドン駐在員 公認会計士 大野 雄裕
上場企業での経理部門を経て、2005年、当法人に入所。国内および外資系企業の会計監査を中心に、外国籍企業のクロスボーダーIPOにも従事。16年より、EYロンドン事務所に現地日系企業担当として駐在。英国およびアイルランドに既進出、進出予定の日系企業の会計、税務、法務、M&A関連業務などのサポートに従事。
Ⅰ はじめに
今日、会計監査人の監査報告書に記載される内容の拡充、いわゆる長文化が世界において加速しています。日本においても、2017年6月に金融庁から「『監査報告書の透明化』について」が公表され、具体的な検討が始まっています。
本稿では、13年から本格的に長文式の監査報告書(Extended Auditor's Report)が導入されている英国の事例を分析し、制度内容や長文化がもたらした影響について考察します。
Ⅱ 英国における長文式監査報告書導入の背景
英国における長文式監査報告書は、以前からの議論に加え、08年の世界金融危機をきっかけに、監査を含む財務報告制度全体に対する信頼性を高める観点から、12年から13年にかけて新しいコーポレートガバナンス・コードと監査基準が一体となって導入・推進された点に特徴があります。
具体的には、取締役会、監査委員会、監査人それぞれの報告内容の拡充が図られました(<表1>参照)。
以後も、英国では、継続企業や会社が直面する主要なリスクに関する記載の拡充が行われ、現在に至っています。
Ⅲ 英国上場会社における監査報告書の記載例
以下は、16年6月17日以降に開始する事業年度に対する財務諸表監査から適用される監査報告書の記載例 (ロンドン証券取引所のプレミアム上場会社のケース)になります。
最新の監査報告書は、「監査上の主要な事項(Key Audit Matters:KAM)」の記載など、その後の国際監査基準(ISA)や欧州連合(EU)ルールの改正に合わせた変更が行われていますが、「監査の範囲」や「重要性」については、引き続き、ISAの要求事項にはない、独自の記載事項となっている点が特徴となっています。
また、その他の特色として、監査人が自らの監査方法や判断に関して、より個々の会社の実情に即した形で情報提供することに力点が置かれています。例えば、「KAM」「監査の範囲」「重要性」の記載については、あえて詳細な規定が初めから設定されず、自発的な創意工夫を監査人に促す仕組みとなっています(<記載例>参照)。
直近に公表された監査報告書(17年6月期)の例では、KAMの数は3~5個、監査報告書の全体の分量は、おおむね6~7ページ前後となっています。
Ⅳ 監査報告書の長文化がもたらした影響
英国における規制当局であるFRC※1は、長文式監査報告書の導入初年度と2年目に、導入状況に関する報告書を公表しました。
1. 投資家からの反応
投資家は長文化を歓迎しており、特に、小規模な会社など独自に入手可能な情報が少ない場合にその情報価値が高く評価されています。また、最も評価されている監査報告書の傾向として、分かりやすい構成で主要な情報がハイライトされている点や、グラフ、表および色を意欲的に使用している点が挙げられており、投資家が利用者にとって優れた情報提供を行った監査報告書を表彰する試みも行われています。
2. 今後に向けた課題
投資家からは、経営者の見積りに用いられた仮定や監査人の主要な判断基準に関するさらなる透明性が求められている一方、FRCとしては、透明性や簡潔性を高めることに対する要望と、財務諸表全体に対する監査意見が重要であることを維持するためにバランスを取る必要がある点、報告内容の拡充余地がある点(重要な虚偽表示リスクに対する発見事項の説明等)が報告されています。
3. その他の当事者からの反応
前記の報告書は、長文化の受益者である投資家からの反応に焦点を当てており、その他の当事者からの反応については、ICAEW※2から公表された報告書が参考となります。
例えば、経営者の反応は、歓迎から必要以上の追加的な開示には消極的なものまでさまざまである一方、監査報告書の内容が監査手続に基づくものであり、かつ、記載内容が監査委員会との密接なコミュニケーションによって日頃から認識されている事項のため、おおむね受け入れられていると考えられています。また、監査委員会についても反応は多様であり、重要なリスクの開示は監査人でなく、取締役会や自身の役割と考える意見がある一方、監査委員会自身の報告を向上させる機会を与えてくれるものとして評価する意見もあります。
Ⅴ おわりに
英国における長文式監査報告書の展開を分析した結果、財務報告制度全体の信頼性を高め、世界における英国の資本市場としての優位性をいかに維持していくか、という目的の下、①監査報告書にとどまらず、取締役会・監査委員会・監査人のリスク認識の共有化を、開示等を通じて制度的に確保させている点や、②記載内容の創意工夫を監査人に促し、報告内容ひいては監査品質の向上を自発的に競わせている点が、注目すべきであると考えられます。
現在、日本では長文化の具体的な検討の過程にありますが、すでに監査上の主要な事項(KAM)の記載は、米国※3やEUをはじめとする世界各国における監査報告書の記載事項として今後定着していく動きを見せており、英国における先行事例は、大いに示唆に富むものになっていると考えます。
(1) FRC「Extended auditor's reports:A review of experience in the first year 」(2015年3月)および「Extended auditor's reports - A further review of experience 」(2016年1月)
(2) ICAEW「The start of a conversation:THE EXTENDED AUDIT REPORT」(2017年3月)
(3) 日本公認会計士協会「監査報告書の長文化(透明化)」(2017年7月)
※1 英国財務報告評議会(Financial Reporting Council:FRC)
※2 イングランドおよびウェールズ勅許会計士協会
※3 米国では、CAM(Critical Audit Matters)の名称が用いられている。