Section 1
ビジョン実現に向けた変革を推進するのがDXとOXの本質
この数十年の社会の変化に伴い、食習慣も大きく変化し、必然的に「食」や「健康」にまつわるさまざまな課題が浮上しています。そんな中、味の素では「食と健康の課題解決企業」というビジョンを掲げて改革に取り組んできました。
「創業以来一貫して『ASV(味の素グループシェアードバリュー)』を掲げ、事業を通じて社会の価値と経済価値を共創する取り組みを進めてきました。そしてこの4月、味の素グループの新たなビジョンとして、食習慣や高齢化に伴う食と健康の課題を解決し、人々のウェルネスを共創していく『食と健康の課題解決』を目指す方針を掲げました」(藤江氏)
この大きな目的に向け、味の素は今さまざまな改革を進めています。
「過去20年間を振り返ってみると、事業構造を変革してある一定の成長は成し遂げてきましたが、10年単位で起こるいろいろな環境変化に素早く対応できてきたかというと課題もあります」(藤江氏)。そこでCEOを筆頭に、「味の素グループは分岐点に立っている」という危機感と覚悟を持って変革に取り組んでいるそうです。
まず、「食と健康の課題解決企業を目指す」という目的を明確にし、社員一人一人のエンゲージメントを高めることで企業価値の向上に取り組んでいます。またKPIにもメスを入れました。事業のオーガニックな成長を見据え、部門ごとの短期の売り上げや利益といった規模のKPIをあえて捨て、人材や顧客といった「無形資産」を高めることに重点を置きました。さらに、組織マネジメントの見直しも進めています。
「企業文化が硬直化しているところがあるかもしれず、戦略遂行のスピードがまだまだ足りないという課題を感じていました。そこで、お客さま起点で考える自発型の企業文化への変化を図るとともに、経営側も経営責任をしっかり果たしていこうとしています」(藤江氏)
そして、「2030年までに食と健康の課題解決企業として、社会変革をリードする存在になる」というビジョンからバックキャストする形で、さまざまな戦略を立て、遂行しつつあります。ここで重要な役割を果たしているのがデジタルトランスフォーメーション(以下「DX」)とオペレーション変革(以下「OX」)です。
ただ、安易なDXの連呼には賛成できないと藤江氏はくぎを刺します。「DXが社会的にも注目を浴びているため、『何かデジタルをやらなきゃいけないな』といった誤解も往々にして生まれがちです。しかし、よく言われるとおり、DXは目的ではありません。デジタル、すなわち『D』を通じて、変革『X』を推進する、これが一番のポイントであり、それによって生産性や競争力、企業価値を高めていくのがDXであるということを、いろいろな場で確認しています」(藤江氏)
逆に言えば、目指すべき目的が明確になっていれば、そこに向けたステップも具体的になります。藤江氏は、全社のオペレーションを変革して業務プロセスの無駄をなくす「DX 1.0」に始まり、自前主義を捨ててエコシステムを変革する「DX 2.0」、食と健康の課題解決に向けた新たな事業モデルを作り上げていく「DX 3.0」、社会変革を目指す「DX 4.0」という具合に、味の素が段階的にDXとOXに取り組んでいることを説明しました。
一連の取り組みを推進するための体制整備も重要なポイントです。味の素の場合、事業の実行主体は3つの本部ですが、2019年4月にはCEOの直下に「DX推進委員会」を立ち上げ、その下に「全社オペレーション変革」「事業モデル変革」という2つのタスクフォースを新設しました。この2つのタスクフォースが3つの本部にまたがって、横軸で企業文化の変革を推進していく体制を整えています。いわゆる「マトリックス組織」です。
「マトリックス組織はうまくいけば大きな効果が生まれますが、現場の人間一人一人にとっては、『実行主体となる本部の話を聞けばいいのか、推進主体の話を聞けばいいのか、どっちの話を聞けばいいのだろう』という悩みも出てくるでしょう。そのような悩みが生じないように経営会議では相当深く議論を重ね、この体制に至りました。ポイントは、実行主体と推進主体がどれだけワンチームとなり、連携して取り組めるかです」と藤江氏は述べました。同様に、Chief Digital Officer(CDO)とChief Information Officer(CIO)、CXOがバラバラな方向を向かないよう、やはり密にコミュニケーションを取って「ワンチーム」で取り組んでいるそうです。
Section 2
従業員一人一人のエンゲージメントを背景に生まれ始めた成果
そして今、味の素ではグループ全体の変革基盤としてOXを全グループに標準実装し、それを継続的に磨き込むことに取り組んでいます。
具体的には、社員一人一人がASVというビジョンにエンゲージメントするため、CEOや本部長との対話の場を設けるなど、自身の目標を共有してASVを「自分ごと」化するきっかけとして「個人目標の発表会」を全社で始めています。また、グループ共通の経営指標を導入して事業や組織の状況を見える化し、健全な状態か、それとも課題があるのかを把握した上で組織の実行力を高めていこうとしています。
その前提として味の素では、「DX 0.0」という位置付けで、2008年から働き方改革に取り組んできました。経営側のマネジメント改革と個々人のワークスタイル変革の両輪で進めており、「これを原資に、人材に再投資しようとしています。働き方改革から働きがい改革に取り組んでいるとも言えるでしょう」(藤江氏)
すでにその成果として、オペレーション業務の効率化、間接材のコストダウンといったバックオフィス変革の取り組みが進行中です。「コロナ禍でその重要性がますます高まりました。仕事が在宅中心になる中、デジタルを活用してバックオフィスのオペレーションの業務を効率化したり、標準化したり、高度化したりする余地はまだかなりあるはずです」と藤江氏は述べます。
さらに、デジタル技術を駆使して、1回の採血で血液中のアミノ酸の濃度バランスを元に健康状態やさまざまな疾病の可能性を検査できる「アミノインデックス」を10月から展開する予定となっているほか、グループ企業の味の素エンジニアリングでは、実際に工場に行かなくても設備管理、点検、工事といった業務を支援するクラウド型の支援サービス「プランタクシス」を4月に開始するなど、デジタルを生かした新たな取り組みが次々と生まれています。
そして藤江氏は最後に、「DXが進んでくると、DXの人材育成や再教育、リスキリングがますます重要になってくると強く感じています」と述べました。
一時期、「AIによって人間がこなしてきたさまざまな仕事がなくなる」という論文が話題を呼びましたが、藤江氏はルトガー・ブレグマン氏の論をひいて、むしろ新たな雇用、新たな役割が求められてくると予測します。そして「味の素でeラーニングを中心にしたビジネスDX人材育成コースを設けたところ、多くの社員が応募してきました。この時代、新しい技術を身につけ、チャレンジしたいと、社員一人一人の意識も変わっています」と述べました。
さらに、ビジョンに向けたDXとOXの取り組みの中にはうまくいったものもあれば、難しかったものもあると率直に振り返り、「うまくいかなかったものについては何が要因かをしっかり反省、内省し、それを生かして食と健康の課題解決に向けた取り組みを推進していきます」とあらためて宣言しました。
Section 3
DXは「ネバーエンディング」、継続的な変容は企業にとって永遠の課題
続けて、EY JapanのChief Innovation Officerを務める松永達也らを交えたトークセッションに移りました。
進行役を務めたEYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社(旧:EYアドバイザリー・アンド・コンサルティング株式会社)のBusiness Consulting/Business Transformationパートナー、服部浄児が、参加者から寄せられた「会社全体のDXは、どのような部署のどのような役割の人がどのように推進すべきでしょうか」という質問をしました。
これに対し藤江氏は「いろいろなやり方があり正解はないと思いますが、根本的な課題はありたい姿と現状のギャップです。その本質的な課題を明確化した上で、その課題解決にはDXが必要という形で、なぜDXをやるのかという理由について腹落ちすることが一番大事だと思います」と答えました。
複数の事業、複数のオペレーションを抱える味の素の場合も、「なぜやるのか」「どうやるのか」をしっかり説明し、理解、納得、共感の域まで持っていきたいと考えているそうです。そこでDX推進委員会内に設けられた4つの小委員会を毎月のように開催し、その取り組みを四半期に一回開催するDX委員会全体で共有して、全体の取り組みにつなげているといいます。
ただ、藤江氏は「反省点も多々あります」とも述べました。「こちらは説明したらそれで伝わった気持ちになってしまいますが、振り返ってみると、みんながなかなか理解していないこともありました。ある方に『伝わったときが伝えたときだ』と言われ、ああ、自分は伝えているつもりで伝わっていなかったなと反省しました」(藤江氏)。どうやったらしっかり伝わるかを意識して、皆が腹落ちし、モチベーションを持って自発的に取り組める状況を作り出すことの重要性をあらためて痛感したそうです。
味の素はさらに、ASEAN、北米、南米、欧州アフリカという4つの地域本部でもDX推進委員会のセッションを設けているそうです。現地の従業員にも参加してもらいながら、それぞれの地域でどうDXを推進していくかを議論し、自発型の企業文化の創出に取り組んでいます。
さて、営業やマーケティング、企画といった分野でのDXは比較的わかりやすいですが、コーポレート部門におけるDXはどうあるべきでしょうか。この2つ目の問いに対し松永は、「多くの企業では情報のデジタル化、業務プロセスの再構築を進めてきたはずですが、その上でさらにデジタライゼーションに取り組むべきです。データを有効活用し、事業部門のビジネスに貢献するなど、社長が担うミッションをサポートするコーポレート部門になっていくことがDXの目標になるでしょう」と述べました。
藤江氏はこれに関連して「自分たちがやりたいことはいっぱいあります。それをやるために、あえてやめること、減らすことも作っていかなければいけないし、高度化することも大事だよねと、いろんな場で議論するようにしています」と付け加えました。
またコーポレート部門の場合、社内の各部署が「顧客」となります。そこで味の素では「その内部顧客から見たときの外部顧客に対して、どういう価値を提供しているのかを考えていく取り組みを行っています」(藤江氏)
顧客や価値を定義して個人目標をプレゼンテーションする取り組みもその延長線上にあるそうです。「大きなビジョンと各部署目標、個人の目標を関連付けて考えることにより、『自分はこの部署のこの役割を担っており、それが食と健康の課題解決のこの部分につながっているんだ』と関連付けることが、腹落ちにつながります」(藤江氏)
最後の問いはこの先のコーポレート部門の役割についてです。いつかはDXを通した効率化の取り組みが終わり、次のミッションを探すことになるのでしょうか。
EY新日本有限責任監査法人 FAAS事業部 パートナーの前川によると、コーポレート部門、特に経理・財務部門におけるDX、OXは、紙の稟議(りんぎ)書を廃してワークフローを導入し始めた「梅」、帳票やRPAの活用、ビジネスプロセスアウトソーシングやシェアードサービスの活用を始めた「竹」、AI-OCRを活用して請求書処理を自動化や、プロセスマイニングを活用して内部統制や業務効率上の不備を洗い出すところまで来た「松」と、大きく3段階に分けられます。そして、「企業のグローバル化の状況に応じてトランスフォーメーションを進めていくことがポイントです」と指摘し、長期的な価値や戦略に沿ったさらなる高度化を目指すべきだとしました。
一方藤江氏は、「『DX後』はおそらくないでしょう。お客さまや社会が継続して変容していくのに対し、デジタルを活用してどう私たちも変革していくかという課題は、ネバーエンディングの、永続的に取り組むべき課題だと思います」と述べました。
そしてコーポレート部門が担う企画・監督といった役割については「高度化」を、オペレーションの部分については「効率化」を進め、そこで生まれたキャッシュや人材を自社のビジョン達成に向けてどのように組み替え、一人一人のモチベーションをどう上げていくかが重要だと述べました。
さらに、「直接競争しない機能については自前主義を捨て、エコシステムを構築し共同で進めるようになっていくのではないでしょうか。われわれも参画しているF-LINEでは『競争は商品で、物流は共同で』という理念を掲げています。このような共同でやるべき機能は、デジタル活用によってますます推進されるでしょう」と付け加えました。
最後に服部は、藤江氏が述べた「ネバーエンディングのDX」というキーワードに同意し、「われわれが掲げるアジャイル型のトランスフォーメーションというキーワードが示すとおり、DXを実行しながら常に戦略やアプローチをアップデートし、そのサイクルを高速に回していくことが重要になってくるでしょう」と述べ、議論を締めくくりました。
サマリー
EY Japanは「バックオフィスのデジタルトランスフォーメーション」をテーマに、経理・財務、人事、営業管理といった企業の各機能のデジタルトランスフォーメーションについて掘り下げるWebinarシリーズを企画しました。第1回では、味の素グループから、Chief Transformation Officer(CXO)として改革の旗振り役を担う藤江太郎氏をゲストに招き、実体験を踏まえてデジタルトランスフォーメーション推進の勘所についてお話しいただきました。