第1章
アプローチ
ネットゼロ目標に向けて進む上で金融機関に求められるのは、サブセクターの移行への取り組みに関する知識の深化です。
各セクターの移行の詳細な道筋については、信頼性が高く、実現可能でスムーズなネットゼロへの移行を経済の各領域に促すものにする必要があるというのが、学界、業界団体、政府の諮問委員会、気候変動ファイナンス関連のイニシアチブの間の共通認識です。
金融機関が資金動員の道筋をセクター別に分析する必要があることは広く認識されていますが、企業レベルまたは活動レベルでより細かく的を絞り、分析を深化させることを金融機関に推奨している主要な業界団体もあります。
EYでも、企業とプロジェクトに対するトランジションファイナンスを金融機関が確信を持って実施し、成功させるためには、さらに詳細な分析が必要になると考えています。サブセクターレベルで、場合によっては個々に応じてあるいはプロジェクトベースで移行がどのように実施されるかを把握することにより、クライアントと投資先の排出量削減にかかるパフォーマンス状況をより正確に標準化できるはずです。このような詳細な知見が、チャンスを見極め、リスクを軽減する上で役立つでしょう。
そのためには、クライアントと投資先の業務やサプライチェーンについての理解と、両者がどのように移行に取り組むのかについての知識を深める必要があります。EY ASEAN Financial Service PartnerのWolfram Hedrichが説明するように、「これを成功させ、金融サービスにとっての真のチャンスに変え、また競争上の強みにするためには、非常に細かいセクターレベルで移行の専門家になる必要があります」
移行の各道筋を理解するために不可欠な情報の例:
- 移行スケジュール
- 各道筋の主な排出量削減目標
- 排出量削減目標の達成に必要な事業戦略とそれに合わせて業務をどのように変革していくか
- 移行を可能にするためにはどこに資金が必要となるか(例:プロジェクトファイナンス、機械類と装置の改修、建物と資産の改修、研究開発費、技術開発など)
こうした企業とその活動の詳細な評価は、移行の道筋をつけるに当たってより多くの支援を必要としているのはどのセクターや企業なのか、段階的に止める必要があるのはどの活動か、移行を可能にするプロジェクトやテクノロジーのうち、投資機会があるとしたらどれかを把握する上で役立つはずです。
セクター別の詳細な知識を深めるべく、スピード感を持って取り組む銀行、保険会社、資産運用会社などの金融機関は、いち早くチャンスを生かし、成長分野を見極めることができるでしょう。
当然のことながらさまざまな国が独自の移行スケジュールを設定しているため、セクターと企業によっても、また国や地域によっても、それぞれ大きな違いがあるはずです。現在までのところ移行の推進に当たり、必要な資金が不足している新興国が多いことなどから、移行に向けた企業の準備状況は、新興国と先進国でも差が生じるでしょう。各セクターの懸念事項に加え、このような違いも、金融機関がトランジションファイナンスの機会を分析するにあたり影響してくるでしょう。
同様に、地産地消運動や輸送手段の共有化から、配送利用を減らすことや在宅ワークまで、社会行動の新たな変化も、さまざまなセクターや企業の移行スケジュールに大きな影響を与えるでしょう。このような社会規範の変化は、循環型経済の進展や従来型サプライチェーンの崩壊をもたらす可能性があり、すべての国・地域およびセクターのシナリオ分析においてそれらを加味する必要があります。
一部の新興国は砂漠化や異常気象など気候関連リスクにさらされやすく、その多くがすでにそうした現象に見舞われています。ネットゼロへの移行をさらに進め、このようなリスクを軽減することが急務です。その一方で、この移行をチャンスとして捉える必要もあります。再生可能エネルギーの供給の増加により、新興国は信頼性が高く、安価な電力供給を受けることができるようになります。その上、再生可能エネルギー向けの新たなテクノロジーや部品の製造に必要な原材料(リチウム、ニッケル、コバルトなど)の需要が高まり、その大きな恩恵を受ける国もあります。
セクターや国・地域によって移行のペースは異なるでしょう。変化をうまく乗り切るには、このような力学について理解を深める必要があります。
確信が持て、成功が見込めるトランジションファイナンス計画の実行に着手するために必要となるのは、サブセクターの移行の道筋に関する知識を深めることです。そのために検討する必要がある実践的なポイントは数多くあります。
大手金融機関が重視すべき分野は大きく4つあります。それぞれ、以下の章で取り上げていきます。
第2章
個々の道筋に合わせたファイナンスの構築
自社に合ったファイナンスソリューションを活用することで、さまざまなセクターが移行目標を達成できます。
移行を進めるサブセクター、企業、プロジェクトへの資金の流れを増やすためには、金融機関がイノベーションを起こし、個々に合わせた商品とサービスを設計し、そのファイナンスを個々に応じて促進していく必要があります。各セクターにはそれぞれ独自の移行の道筋があるはずです。そのため、トランジションファイナンスの手段は、ファイナンスを必要としている各サブセクター、あるいは実際には各企業や各プロジェクトに合わせて変える必要も出てくるでしょう。
移行を進めるプロジェクトと企業への投融資については、銀行、保険会社、資産運用会社を含め、金融サービスを取り巻くさまざまな関係者が直面する懸念事項と実務上の課題はそれぞれ異なるはずです。しかし、すべての関係者に共通するテーマもいくつかあります。移行への意欲を高め、移行を促すことができる最適な仕組みを持つ商品やサービスを設計することも必要です。そのためには投資や融資、あるいは引受プロセスの各段階を頭に描き、移行の意欲を高めるドライバーをどこに入れるべきかを見極めなければなりません。
EYでは、金融機関の意思決定において移行の意欲を高めることが可能な、投資や融資の各段階を明確に把握するフレームワークを構築しました。
以下に示す3つの業界を例に挙げ、主な移行の道筋を示します。
- 海運
- 再生可能エネルギー
- 電気自動車
各事例では、移行における各道筋に3つの業界それぞれが対応方法を検討する際に、金融機関が直面する独自の課題と、それを克服するために活用している革新的なソリューションについて考察します。
海運
再生可能エネルギー
電気自動車
第3章
信頼性の高い移行のための信頼性の高い分析
移行については、データギャップがあります。そのギャップを解消するためには、先を見越した対応が必要です。
前章の事例から明らかなように、トランジションファイナンスを行い、成功させるためには、移行の道筋についての深い理解が必要です。しかし、「信頼性の高い移行」の内容を明らかにする、信頼のおける比較可能なデータが金融機関にはまだ十分にありません。
移行について理解する上で役立つ定量データと定性データに関して、金融機関が自らに問いかけるべき重要な質問がいくつかあります。EY FSO Consulting PartnerでありEY EMEIA Climate Change Risk Pillar Leadを務めるMax Weberは次のような質問を挙げています。「金融機関が投融資を考えているプロジェクトや企業を評価できる情報やデータがあるでしょうか。評価する対象は移行の道筋のどの段階にいるのでしょうか。移行プロジェクトや移行ポートフォリオへの投融資の実施を決定できるだけの情報があるのでしょうか」
これらの問いかけに向き合うためには、まず分析を行い、サブセクターベースで、そのポートフォリオの移行ポテンシャルを評価する必要があります。この評価の目標は、以下の点を理解することです。
- 政府、政策、規制当局が定めたセクター全体の排出量削減目標に伴う介入を受けることなく、すでに移行を進めているのはどのセクターとどの企業か
- 移行計画の策定が終了しているのはどのセクターとどの企業か
- 信頼性の高い移行の道筋に到達するためにさらなる支援を必要としているのはどのセクターか
こうした見方を通してポートフォリオを評価することで、ポートフォリオ全体の資産の移行に向けた準備状況をより深く理解できるはずです。金融機関は、自らのポートフォリオでパッシブな移行戦略を模索し、すでに脱炭素化に取り組んでいて移行計画の策定を終了したクライアントや取引先に資金を集中させる一方、迅速な移行ができない企業や、これに後ろ向きな企業からの資金の引き上げを選択することもできます。
気候変動リスクの影響に対する理解
54%の銀行が「予備的な理解」にとどまっている。
が「ある程度完全に」理解している。
しかしパッシブ戦略では、金融機関自身の移行目標もネットゼロ目標も達成できそうにありません。アクティブな移行戦略を模索する金融機関は、クライアントや取引先と協力し、自らの投融資判断を通して脱炭素化の意欲を高める必要があるでしょう。
このような類のトランジションファイナンスは多くの金融機関にとってまだ比較的新しい領域です。金融機関は、より意欲的な移行を奨励する投融資メカニズムの導入と開発を始めました。とはいえ、トランジションファイナンスについては大きな課題が残っています。最大の課題はデータ不足です。ネットゼロ目標を公表する企業が増えてきましたが、金融機関が知見や長期的なデータを得ることができる具体的な移行事例はまだほとんどありません。IIF/EYグローバルリスクマネジメント調査(IIF/EY Global Risk Management Survey)(PDF)によると、調査対象となった銀行の54%が「気候変動リスクの影響について予備的な理解」しかしていません。「ある程度完全に」理解している銀行の割合は28%でした。
大手上場企業は、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)による提言に従い情報開示を行っており、その情報から金融機関は意思決定の基となるデータセットを得ることができます。しかし、それ以外の企業については、この種のデータを入手することができません。EY EMEIA Strategy and Transactions Innovation LeaderのChristopher Schmitzは次のように説明しています。「銀行のポートフォリオの大部分を占める中小企業など上場していないクライアント、つまり借入側については、現在のところ公表基準がありません」
金融機関はクライアントや取引先からどのような情報の開示を受ける必要があるのかを検討していますが、このデータギャップが完全に解消されるまでにはあと数年かかるでしょう。しかし、気候変動対策に取り組むことは急務です。今すぐに移行への投融資が必要であるため、金融機関はこのアクティブな道筋をたどり、クライアントや取引先と協力してその移行を促進しなければなりません。
このようなデータギャップが残る中、確信を持ってトランジションファイナンスを行うことができるようになるためには、移行に関わる投融資を考える際に、「信頼性の高い」移行計画の在り方(EY.com UK)を詳しく示す独自のフレームワークを構築する必要があるでしょう。
このような判断を下す際に金融機関が参考にできる便利な評価体系が新たに誕生しました。TCFDが2021年10月に公表した「実効的な移行計画の特徴」に関するガイダンス(PDF)です。移行計画の信頼性を評価する主な7つのステップの概要を示しています。このガイダンスによると、計画の要件は以下の通りです。
- 排出量削減目標を達成するための、企業の戦略および自らの戦略に沿った内容にする
- 科学的根拠に基づいた、測定可能な気候関連の数値目標を掲げる
- 目標の達成に対して経営幹部が担う責任と監督の大まかな内容を示す
- 移行目標を達成するためにその組織が今後着手する具体的な行動と事業開発の詳細を示す
- その組織の現在の移行関連のケイパビリティと計画に加え、課題(削減が難しい活動に関与しているかなど)に関する情報を盛り込む
- 排出削減目標とその時の事業戦略に引き続き沿ったものにするため、定期的(少なくとも5年ごと)に更新をする
- 関係するステークホルダーまたは一般に進捗状況を年に1回報告する
この類の詳細な情報を最も集めやすいのは、クライアントや取引先と緊密に連携している金融機関です。その情報を生かし、より効果的な対応で、移行ポテンシャルを実現するサポートができるはずです。
第4章
金融サービスの移行リーダーシップ
金融機関では経営幹部と取締役会がトランジションファイナンスの目標を決めることになるでしょう。
金融機関の経営幹部は今後、ポートフォリオ全体の移行目標と移行計画の策定で重要な役割を果たすことになります。EY Associate Partner for Climate Change and SustainabilityのLoree Gourleyは、「危機に対応するための気候変動対策と気候行動を促すことを目的としたトランジションファイナンス(に対する責任)は金融界のビジネスリーダーにあると思います」と述べています。気候行動については金融機関の取締役会がアジェンダを策定し、ビジネスリーダーが担うのは、全体的なリスク管理と戦略、ポリシーの決定です。どこに投融資を集中させるか、また、資金を引き上げるとしたらどのセクターからかを決める立場にあります。
金融機関のリーダーには、投融資先企業の移行に対する意欲を高め、炭素集約型の活動の継続を思いとどまらせる手段があり、それは例えば以下のようなものです。
- 銀行のリスク委員会には、組織のリスク管理ポリシーに対する監督権限があります。今後は、気候変動に係る訴訟リスク、レピュテーションリスク、移行リスク、物理的リスクを含めた、気候関連リスクのモニタリングに責任を負うことになると思われます。リスク委員会が行う、排出量の多い活動に対する投融資の継続により生じるリスクの評価は、新しい金融手法であるトランジションファイナンスに係るリスクとは対照的に、銀行の融資先の選択に影響を与えることになるでしょう。
- 資産運用会社や機関投資家の視点に立つと、投資委員会は組織の投資戦略を定め、それを気候関連目標を含めた長期目標に沿った内容にすることに全体的な責任を負っています。気候などのサステナビリティ関連の目標を公表した資産運用会社や機関投資家は、ポートフォリオ全体にわたり、その目標の達成に向けた取り組みをリードする必要があるでしょう。排出量削減目標には、これら委員会が定めた投資マンデートや投資ポリシーを織り込まなければなりません。
- 金融機関の取締役会は排出量削減の中間目標を報酬の決定要素の1つにして、前年比財務収益だけでなくネットゼロ目標にも従業員の目を向けさせることで、この目標を経営幹部だけでなく従業員にとっても優先課題として位置付けることができます。
第5章
対話とコミュニケーションを活用する
トランジションファイナンスのポテンシャルをフルに引き出すためには、クライアントや取引先との協力関係が不可欠となるでしょう。
今後は移行プロセス全体を通して、クライアントや取引先とのコミュニケーションと対話が極めて重要になります。「金融機関がネットゼロ目標に向けた取り組みの内容をクライアントに伝える上でも、クライアントの取り組みの内容を理解する上でも、優れた学習能力と対話が必要になると思います」と話すのは、EYでSustainability, Climate Change and Riskのシニアマネージャーを務めるRyan Bohnです。
対話には極めて重要なポイントが大きく3つあります。
- 自らの移行目標を市場に明確に発信する
- クライアントや取引先と緊密に連携して、移行の道筋の具体的な内容と移行の後押しとなる新たな動き(新たなテクノロジーなど)を把握する
- 移行に関する自らの専門知識を共有してクライアントや取引先をサポートする
投資分野ではすでに、このような緊密な関与がみられるようになってきました。「投資家はスチュワードシップの観点から決定などを下すことが非常に多く、企業の移行計画に深く関与しています」とInstitutional Investors Group on Climate Change(IIGCC)でPolicy Programme Directorを務めるEmelia Holdaway氏は指摘します。
クライアントや取引先との建設的かつ実りの多い関わり合いを実現するためには、金融機関が人材に投資をし、気候関連の専門知識とスキルを育成する必要があります。高度な知識とスキルを身に付けた従業員は、クライアントや取引先とサブセクターの移行の道筋について専門的に説明し、移行プロセスの最初から最後まで、確信を持ってクライアントや取引先を導くことができるはずです。「適材を配置し、適切な人材研修を実施し、こうしたスキルを真に積み上げ、信頼性の高い対応をする。今後はこれが本当に重要になるはずです」とEYでSustainable Financeのマネージャーを務めるElla Sextonは言います。
今後は、気候問題に重点を置いたスキルの需要を満たすために採用に投資するケースも出てくるでしょう。例えば、気候科学者や電池技術の専門家を採用している金融機関もあります。しかし、そうした金融機関を除くと、既存の従業員を教育して、サブセクターの移行の道筋に忠実に沿った、気候に特化した新しい知識を身に付けさせる必要があるでしょう。
その一方で、組織内のアナリストやリレーションシップマネージャーの多くがすでに備えているセクター固有の知識を忘れてはなりません。特定のサブセクター、その業務とサプライチェーンに関する深い知識を備えた従業員は、それぞれの移行の道筋を進むクライアントに的確な助言とサポートを行うことができるはずです。
本記事の作成にあたり、Jane C. Lin(Partner/Principal, Business Development, Ernst & Young LLP United State)が協力してくれました。ここに感謝の意を表します。
サマリー
COP26においてグラスゴー気候合意が取りまとめられる過程で、資金提供者による取り組みが、そのバランスシートの脱炭素化だけでなく、企業による実体経済での脱炭素化の後押しにも必要であることが浮き彫りとなりました。ネットゼロへの移行が金融機関に課題を突き付けています。多くの銀行、資産運用会社、保険会社にとって、これは投融資の新たな領域です。その一方で、適切な対策を講じることにより、トランジションファイナンスの専門知識を確立し、チャンスを見極めることができます。サブセクターの移行の道筋に関する知識を深め、移行に詳しい人材に投資をすることが成功の鍵となるでしょう。