第1章
投資家は資本の投入先を変える動きを見せている
生物多様性に悪影響を及ぼす企業は、資本調達が難しくなる可能性があります。
気候変動と同様に、投資家は、進歩的な⽣物多様性規制によって⽣じた座礁資産に晒(さら)されていないことを確信するために、規制曲線を先取りする⾏動を起こす可能性が⾼いでしょう。気候変動との違いは、企業や市場が気候変動リスクを真剣に受け⽌めるまでに数⼗年かかったのに対し、⽣物多様性リスクの理解と軽減が不可⽋であるという認識は、急速に広がる可能性があるということです。近いうちに、資本が直接的および間接的に⽣物多様性に悪影響を及ぼす企業から流出し、「ネイチャーポジティブ」な企業に流⼊する可能性があります。
また、特定の⼟地の商業利⽤に関する厳格な規則、補助⾦改⾰、税⾦及び罰⾦、科学的根拠に基づく⽬標の実⾏、貿易指令など、さまざまな新しい規制アプローチが予想されます。多くの国や地域、特に欧州では、すでにこの取組みが始まっています。
EYは、TNFDの重要な活動を支援していることに誇りを持っています。自然関連の情報開示に関する基準を改善し、中核的な金融投資との統合を強化することで、投資家はよりグリーンな経済の支援が可能になり、組織は生物多様性戦略の構築を通じて人々と地球のために長期的価値を創造するようになるでしょう。
第2章
生物多様性がビジネスに与える影響
生態系の崩壊は、重大な事業運営リスクを引き起こす可能性があります。
世界経済フォーラム(WEF)によると、世界の国内総⽣産の半分以上が、⾃然に依存しています。3国連環境計画⾦融イニシアティブ(UNEP FI)によると、FTSE 100を構成する18のセクターのうち13セクター(時価総額1.6兆⽶ドルに相当)が、⾃然への物質的依存度が⾼い、または⾮常に⾼い⽣産プロセスに関連していることが分かりました。4
これは、生態系の崩壊の結果、5社に1社が重大な事業運営リスクに直面する可能性があることを意味しています。5これらの重要な自然リスクは、一般的に以下と関連している可能性があります:
- 依存 — ビジネスモデルの一部として自然(淡水、受粉、生産土壌など)に直接依存している場合、自然リスクが財務業績に影響を与える可能性があります。飲料会社は淡水の確実な供給量を確保する必要があり、食品会社は作物や耕作地の安定性に依存し、バイオ製薬会社は新たな医薬品の原料を得るために生態系に依拠しなければなりません。
- 影響 — ビジネス活動が直接的または間接的に⾃然に悪影響を及ぼしている場合、それに起因するレピュテーションの低下、法的措置、または財務上の損失を通じて、ビジネスが影響を受ける可能性があります。従業員、消費者、投資家、政策⽴案者およびコミュニティーは、⽣物多様性に及ぼす影響を管理し、事業運営のソーシャルライセンス(社会からの承諾)を維持することを企業に期待しています。
第3章
⽣物多様性と気候変動リスクとの類似点
生物多様性と気候変動は、どちらも物理的リスクと移行リスクの観点から検討できます。
⽣物多様性と気候変動は、強く結びついています。マングローブ、湿地、サンゴ礁などの森林や⽣態系は炭素吸収源となり、温室効果ガス排出量の緩和に貢献するだけでなく、沿岸侵⾷の保護や洪⽔の防⽌など、気候変動の影響に対応可能な⾃然ベースの重要なソリューションにもなり得ます。⽣物多様性は、気候変動と同様に、地域や場所によって異なります。このフレームワークの重要な側⾯の1つは、組織と⽣態系が接する場所に関して、⽣態系へのストレスレベルが⾼い、または極度に⾼いと評価される場所に優先順位を付けることです。私たちは⽣物多様性を⼿付かずの熱帯⾬林の観点から考える傾向がありますが、都市の環境においても同様に重要な検討事項です。
⽣物多様性リスクには、気候変動と多くの共通点があります。いずれも範囲と規模が⾮常に⼤きく、それを超えると回復が不可能となる転換点があります。どちらも不確実でありながら予⾒可能であり、短期的な⾏動によって影響が左右される可能性があります。
⽣物多様性に関連するリスクは、気候変動に関連するリスクと同様の⽅法で予測可能です。次の⽅法で特定できます︓
1. 物理的リスク
物理的リスクとは、物理的資産への損害または生産プロセスに必要な生態系サービスが損失するリスクをいいます。農業セクターでは、昆虫による受粉の減少がもたらす地方および地域の財務上の損失(世界の年間食料生産の2,350億米ドル~5,770億米ドルは、ポリネーター(花粉媒介者)に依存6)、医薬品およびテクノロジーセクターでは、遺伝的生物多様性の減少によって研究開発が滞り、世界的な財務上の損失につながるケースなどが挙げられます。
2. 移行リスク
移行リスクには、政策の変更、法整備およびテクノロジーの変更が含まれます。一部のステークホルダーが、2022年の国連生物多様性条約(CBD)第15回締約国会議(COP15)において、2030年までに世界的なネイチャー・ネット・ポジティブ目標を採択し、2050年までに自然を完全に回復させること発表するように要求しているため7、移行リスクが現実化する可能性はますます高まっています。2021年7月に発表された最新の目標案8は想定される方向性と一致しており、移行リスクが高まり、現在⾃然に悪影響を及ぼしている企業は影響を受ける可能性が⾼いことを⽰唆しています。
3. ディスラプションリスク
ディスラプションリスクとは、自然生息地への侵入が人獣共通感染症の発生につながるなど、自然への影響やその損失が社会や市場を混乱させるリスクをいいます。
第4章
⽣物多様性と気候変動リスクとの相違点
生物多様性は、企業にとってより重要な財務リスクとなっています。
⽣物多様性と⽐較すると、気候変動の議論は成熟し、ビジネスリスクとして理解されています。以前は環境外部性と⾒なされていましたが、過去10年間で環境リスクとして、現在は財務リスクとして認識されています。⽣物多様性も同様の曲線上にあり、気候変動と同じ道のりを辿(たど)ることは間違いないでしょう。
気候変動リスクとの類似性にもかかわらず、その成熟度の低さから、生物多様性リスクには気候変動リスクとは異なった理解と管理の方法が求められます。
単一の測定基準の欠如
企業が炭素排出量を計算するのは比較的容易ですが、生物多様性の測定は、複雑かつ多岐にわたります。測定要素として、次の2つがあります:
- 絶滅危惧種の数やその他の適切な測定基準によって、生態系の生物多様性の価値を評価する
- この評価を用いて、農業におけるポリネーターの量や進行中の河川浄化活動など、生物多様性に対する活動の影響を評価する(企業レベル、サイトレベル、プロジェクトレベルなど、さまざまなレベルで測定可能)
TNFDフレームワークは、企業を⽀援し、⽣物多様性のリスクと機会、パフォーマンスの開⽰⽅法の理解を図ることを念頭にデザインされており、世界の⾦融の流れをネイチャーポジティブな成果に⽅向付ける可能性があります。組織はTCFDフレームワークに準拠すべきですが、今すぐに完全なガイダンスと精度を伴うツールは期待できません。このフレームワークが市場に完全に公表されるのは、2023年後半の予定です。
オフセットは「全く同じ(like for like)」ではない
⽣物多様性オフセットでは、希少種を含む古来の⽣態系の破壊による損失を補うことはできません。⽣息地の条件や⽣態種の個体数が全く同じ地域は存在しないため、⼀部の⽣物多様性は、常にオフセットで失われます。⽣物多様性オフセットを有意義なものにするには、地理と時間の経過を踏まえた直接的、間接的、累積的影響を⼗分に考慮する⻑期的な取組みが必要です。⽣物多様性リスクの管理については、⽣物多様性の損失への影響の回避と軽減を優先し、オフセットは最後の⼿段として検討する必要があります。
複数の価値を考慮に入れる必要がある
ランドスケープは、⽣産的価値、原⽣的な価値、⽂化的価値のために管理されるべきです。⽣物多様性を保護するために、⼟地を原野のまま封じる必要はありません。先住⺠族の深い知識を探ることで、さまざまな価値を共存させていく⽅法について理解することができます。
スキルセット
⽣物多様性は⾮常に広範な学術領域であり、企業は、通常はコンフォートゾーンの外にある新しいタイプの能⼒に関わる必要があります。今⽇企業が協⼒を仰ぐ⾃然保護活動家の多くは、もともと相容れない関係でした。歴史的な壁を克服し、企業と活動家とが⽣物多様性の保護に向けて協⼒すべきだと認識するには、感情的に成熟する必要があります。⾮政府組織(NGO)や慈善家は、通常、市場が活性化していない領域で活動しています。企業はこれらのステークホルダーと協⼒して市場が活性化していないことの本質を理解し、市場の発展に伴って歪(ゆが)みが⽣じないようにする必要があります。
この最後の地点に⾄るまでに、企業はシンプルでストレートな答えはわずかしかないことを受け⼊れる必要があります。例えば農業では、それによって⾷料不⾜が起こる可能性があるのであれば、農薬の使⽤を⽌めるわけにはいきません。その代わりに、趣味の農場だけでなく、⼤規模な農業全体に対し、⽣物多様性をより配慮した農法を奨励し、単⼀栽培から複数栽培への置き換えを推奨することが必要です。そのためには、これまでにないほど多様なステークホルダーの協⼒が必要になるでしょう。企業はかつての相容れない存在を役員室に迎え⼊れ、信頼を得る必要があります。自然保護活動家は企業と信頼関係を築き、ソリューションの⼀端を担う必要があります。
第5章
生物多様性を適切に実現するメリット
生物多様性への配慮は、さまざまな肯定的な影響をもたらします。
⽣物多様性への配慮は、困難が伴う⼀⽅で、より良い成果とより強靭(きょうじん)なバリューチェーンの構築を可能にします。緑地の宅地開発において慎重な計画と管理を実践することで、景観の断⽚化リスクを回避できます。⽣物多様性システムを完全に維持する取組みは、不動産評価の向上にもつながります。多くの樹⽊の植栽は、アーバンヒートを軽減し、気候変動の物理的影響の⼀部を改善することは、その⼀例です。
化学会社が事業で依存する河川を評価するに当たり、その価値を考慮した資本決定が可能になり、複数のステークホルダーに恩恵をもたらすという例もあります。河川周辺地域の⽣物多様性に投資することで、その河川の⽔が企業の事業の維持・成⻑に必要な質と量であるという確信を得ることができます。このような⾏動は、地域コミュニティーの⽣活の質や農場の⽣産性を⾼め、地域の⽣態系を豊かにする助けにもなります。
⽣物多様性は、農村部を超えて街や都市部にも影響を及ぼします。地⽅⾃治体、都市計画事業者、開発事業者は、⾃然に関連する機会を戦略計画やリスク管理、資産配分の決定に組み込む重要な役割を担っています。
第6章
生物多様性リスクの管理に向けた次のステップ
企業は生物多様性の悪影響を減らすために、今すぐ行動を起こすべきです。
世界が低炭素経済に移行するにつれ、企業は脱炭素化戦略だけでなく、生物多様性への悪影響をどのように軽減しているか(理想的にはどのように生物多様性を強化しているか)を示すことが、ますます求められる可能性があります。
その中には、空気、水、土地、鉱物、森林を含む自然資本の持続可能な利用・管理と整合するビジネス慣行をどのように採用したか、あるいはどのように組み込む計画であるかを開示することも含まれます。企業が意思決定に炭素価格を盛り込もうと努力しているのと同様に、イノベーション、自然資本の保全および環境ショックの対応計画を対象とする、正式な自然資本勘定を設定する必要もあります。投資家にとって、多様な天然資源データを集約することが、環境、社会、経済データの収集と同様に重要事項となる日が近いでしょう。
組織は、国際的に合意されたフレームワークや完璧なツールが利用可能になるのを待つべきではありません。今すぐサプライヤーと協力して、バリューチェーン全体で生物多様性に取り組み、影響の軽減を図るべきです。
その第一歩として、企業は次のことを行う必要があります:
1. 教育と協力要請
経営幹部に生物多様性の概念、ツールおよびフレームワークの十分な知識を習得させ、組織をTNFDやSBTN、または地域組織などの生物多様性シンクタンクやイニシアティブに関与させます。
2. 採用と実行
新しいスキルとテクノロジーを採り入れてバリューチェーン全体で生物多様性リスクをマッピングし、その影響を軽減します。一方で、標準化されたフレームワーク(TNFDやSBTiなど)に沿って、科学的根拠に基づく目標を策定し、ビジネス全体で生物多様性に関する内部説明責任を構築します。
3. 組み込みと説明
気候変動と生物多様性の両課題に対応する共通戦略を策定して気候戦略に組み込み、生物多様性のリスクと機会をどのように特定、測定、管理しているかを継続的に開示します。
サマリー
生物多様性の損失は、サプライチェーンの混乱、規制遵守コストの増加、ソーシャルライセンス(社会からの承諾)の失墜を招き、企業に直接的な影響を与える可能性があります。投資家はすでに、投資評価の一環としてどのように生物多様性に取り組むか、また科学的根拠を踏まえた確固たる目標に基づくネイチャーポジティブ戦略をより効果的に実践できる企業に、どのように資本を流すかについて検討しています。企業は、こうした動きに対して準備する必要があります。